「・・・・ひかる」
藤崎あかりはいつものように、彼氏である進藤ひかるの部屋に遊びにきていた。
折角、遊びに来たのだ。今日は土曜日で午後は二人とも予定がないから、
ずっと一緒にいられると思ったのだ。
正直、二人でどっか外に出かけたかったとも思う。
映画とかみたり、お茶を飲んだり、カラオケしたり、街をぷらぷらしたり。
でも、この彼氏は、そういう休日の過ごし方をこの頃あまりしてくれない。
ちっちゃな頃は外に出たらなかなか帰ってこない子供だったのになー。
そう、今日も進藤ひかるは部屋の中で碁盤の前にすわり、先日の一局の検討をしている。
あかりが来た時も、「わりー、ちょっと待ってて」と言ったきりだ、いつものように。
だけど、今日はもう2時間以上も待たされている。部屋の中で新しい部類の雑誌に目を通すのは3度目だし。
ひかるをじいっと見ているのにも飽きた。
いつもなら、まあ、こんなデート(言えるのか?)もいいか。
ひかるだししょうがないかなって自分を納得させて大人しく、
彼の注意が自分に向くのを待っていることも出来るんだけど。
もう数回続けさま今回みたいなデートだし、もう、頭に来た。
「ひかる」
「・・・あー」
彼はかろうじて返事らしきものをしたが、頭はまだ碁で一杯らしい。
「ねぇ、ひかる!」
「あー、わりぃ、もうちょっとまって」
あかりの方を見もしないで、また碁に没頭する。
「ひかる!! 何よ!私が来ているのに、いっつもいっつも。私、必要ないみたいだからもう帰る!!」
もー帰る!!しらない!!
ぷぃ!と踵を返してドアに向かう。
ひかるがまるで自分を全く必要としていないようで、寂しくて、悔しくて。
あかりは涙が出てきそうなの必死でこらえながらノブに手をかけた。
ひかるは私に会っても楽しくないみたいだし、碁の方をやりたいみたいだし、
だったら私は家で宿題でもやっていた方がいいんだわ。そう思いながら。
「ちょっ! あかり! ちょっと待った!!」
ひかるは慌てて、今まさにドアをあけようとしていたあかりの腕を掴む。
帰られるのは困る。
そのまま腕を自分の方へ強く引っ張り、倒れ掛かる背中ごとあかりを腕に抱きこめた。
「ごめん、あかり。帰るなよ」
「やぁ、帰る!」
ひかるの腕を振り解こうと暴れるあかりをひかるはしっかりと大切に抱き寄せた。
帰られるのは困る。傍にいて欲しいのだ。ただ傍にいてくれるだけで落ち着くのだ。
来て貰っても、構いもせずにただほっとくだけで、部屋にいて貰うだけで、
そんなのは自分の我がままだってわかっている。
俺が良くてもあかりにとっては退屈だろうってわかっている、でも。
毎日・毎日、囲碁という勝負の世界に生きている。切磋琢磨の世界。
そして俺はその世界で頂点を目指していて、「神の一手」を手に入れたくて。
焦ってはいけないってわかっている、一歩一歩登っていけばいいってわかっている。
でも、どこかに焦る気持ちもある、周りが気になる、
トウヤに早く追いつきたくて・・置いていかれたくなくて・・・
囲碁の勉強を一人しているときに、ついつい焦ってしまう、
イラついてしまう、もどかしい自分が悔しくて。
でも、あかりが傍にいると、部屋にいてくれるだけで、すごく落ち着く自分がいる。
ゆったりとした気持ちで囲碁を勉強できる。焦らずに。
だから、傍にいて欲しいんだ。
「ごめん。あかり。傍にいてよ」
「うそ!私のこと忘れていたでしょう!いても居なくても一緒なんでしょう」
ぐずぐずとひかるの腕の中で泣き出した、あかり。あかりに泣かれるのはもっと困る。
「そんなことないから。あかり、ごめん」
「うそー、私なんていらないんだー」
「そんなことないよ、あかり。だから泣くなよ」
あかりのその大きな瞳からぽろぽろと流れる涙をすうっと唇で掬い取る。
「全然、かまってくれないくせに」
腕の中からあかりが責めるように見上げてくる、涙に濡れた大きな瞳で。
吸い込まれそうな瞳にとらわれて、悔しそうに結ばれた唇に誘われているようで。
あかり、それ反則だよ・・・・
あかりを抱きしめる腕に自然力が入り、さらにギュウっと抱きしめる。
そしてあかりの耳元に唇をよせ「ごめん、あかり」と囁き、
そしてそのまま彼女のその柔らかい唇に自分のそれを重ねる。
『好きだから、大切だから』という気持ちを込めて、そして気持ちが伝わるようにゆっくりとキスをする。
名残惜しそうに唇を離し、もう一度ごめんと耳元でささやく。
「あかり、次は遊びに行こう。な、見たがってた映画行こう」
だけどまだ、恨めしそうな瞳は治っていない。
「お昼に、倉田さんが言ってた美味しい定食食べに行こう。ほら和食って言ってた」
まだ目が怒ってる。
「じゃあ、夜は緒方さんが言っていたイタリアン!!」
まだ・・・
「あかり〜。機嫌直せって、な」
「映画連れてってくれるって前も言ってた」
プィっと横を向く。キスで騙されないんだから。
「今度はホントだってばー」
いつもならもう機嫌を直しているはずの、あかりが今日はなかなか機嫌を直してくれない。
やばいーとひかるは冷や汗を流す。あかりに愛想をつかされるのは困る。
「ホントにホント?」
うん、うんと頷く。
「うそだったら、別の人と見に行っちゃうからね」
「絶対だって」
まずい。まずい。何と言ってもあかりはもてるのだ。
もう一度、ぎゅっとあかりを抱きしめる。俺のもの、誰にも渡さない。